Oka Laboratory

満洲電信電話會社

日露戦争後に日本が施政権を得て統治していた關東州(関東州=遼東半島)では、1925年8月9日に大連放送局(JQAK)が周波数760kHz、出力0.5kWで放送を開始しました。一方、東三省政府支配地域では1923年に東三省無線電台哈爾濱分台から試験放送(XOH)が始まりました。1926年10月には哈爾濱広播電台(XOH、後COHB)が本放送を開始、続けて1928年10月に瀋陽広播電台(COMK)が開局しています。

1931年の満洲事変そして満洲国(満州国)建国に伴ない、關東軍特殊通信部により1933年4月に新京(長春)から出力1kWで日本語放送(MTAY)が開始されました。この直後に奉天、哈爾濱、新京の各局は満洲国交通部に移管されましたが、8月31日の満洲電信電話會社(満州電信電話会社)の設立に伴ない、大連放送局とともにその傘下に入りました。この満洲電信電話會社は満洲の電信、電話事業を行なった会社で、南満洲鉄道(満鉄)と同じような特殊企業でした。

1936年11月には新京放送局から長波180kHz(出力100kW)で第2放送が始まりました。これにより日本語による第1放送と満洲語(中国語)による第2放送の2系統の放送が行なわれるようになりました。一部の放送局では第2放送で朝鮮語、ロシア語、蒙古語が併用されていました。1942年12月に哈爾濱中央放送局で第3放送が始まりました。

短波放送は1937年7月16日に大連放送局から呼出符号JDY、周波数9925kHz、出力10kWで始まりました。続いて1939年6月に新京中央放送局にも20kW短波送信機が設置され対外放送が始まりました。

1945年に満洲国が崩壊すると国民党軍と八路軍(共産党軍)の国共内戦が始まりました。このため満洲時代と現在の放送局が必ずしも系統的に同じであるとは限りません。

佐藤さんから放送局の開局日、周波数の変遷および1945年以降の沿革についてご教示を頂きました。ここに深く感謝するとともに厚く御礼申し上げます。

大連中央放送局

放送局概要

呼出符号
JQAK
所在地
關東州大連市聖コ街3-245
周波数
第1放送
760kHz(1kW)
第2放送
1065kHz(1kW)
海外短波放送 (JDY)
9925kHz(10kW)
送信機
第1放送
日本電氣製(1kW)
第2放送
日本電氣改造(1kW)
海外短波放送
日本電氣製短波無線電話送信装置(10kW)
空中線
第1放送
自立式鉄塔(高さ75m)、T型(水平部40m、垂直部65m)
第2放送
自立式鉄塔(高さ75m)、T型(水平部40m、垂直部65m)
短波
水平型リフレクター付ビーム平行2線式
送信所
中波放送
關東州大連市聖徳街3-245
海外短波放送
柳樹屯送信所
現況
遼寧人民広播電台新聞台
963kHz(50kW)
大連人民広播電台新聞台
882kHz(50kW)
大連人民広播電台都市之声
1152kHz(2kW)
大連人民広播電台音楽台
1575kHz(2kW)
中央人民広播電台中国之声
1035kHz
中央人民広播電台経済之声
720kHz

沿革

1925年8月9日
760kHzで放送開始(所在地:大連市大山通 大連中央電話局内)
大連無線電信局沙河口受信所[1]GE製ET-3608型送信機(500W)設置
1931年10月16日
周波数を645kHzに変更
1933年9月1日
満洲電信電話會社に移管
1933年
送信機を關東廰製のものに交換、周波数を650kHzに変更
1936年10月1日
局舎、放送所を大連市聖徳街3-245に移転
周波数を760kHzに変更、出力を1kWに増力
1937年7月17日
中国・海峡植民地向け英語、満洲語の海外短波放送を開始
1937年9月1日
海外短波放送で日本語放送を開始
1937年11月1日
第2放送を1065kHz(1kW)で開始
1938年4月1日
中央放送局へ昇格
1939年8月31日
海外短波放送終了
1945年8月24日
ソ連軍により接収、放送停止
1946年1月16日
大連広播電台(呼出符号XGTR)として放送開始
1947年5月1日
関東広播電台と改称
1949年4月1日
大連新華広播電台と改称
1949年6月20日
北平新華広播電台からの中継放送を開始
1949年7月14日
大連人民広播電台と改称(1950年〜1980年代:旅大人民広播電台)

安東放送局

放送局概要

呼出符号
JQBK
所在地
安東省安東市大和通4-2
周波数
第1放送
805kHz(0.05kW)
第2放送
1260kHz(0.05kW)
送信機
第1放送
山中電機製(50W)
空中線
第1放送
木柱、T型(水平部50m、垂直部28m)
現況
遼寧人民広播電台新聞台
612kHz(10kW)
丹東人民広播電台交通広播頻道
891kHz(1kW)
丹東人民広播電台新聞総合頻道
1404kHz(10kW)

沿革

1937年10月20日
第1放送を805kHzで開始(所在地:安東省安東市六番通4-3)
1939年12月15日
第2放送を1260kHzで開始
1945年10月
八路軍が接収
1945年11月7日
安東市政府広播電台(呼出符号XTAK)、放送開始
1945年
安東新華広播電台(呼出符号XNAR)と改称
1946年10月
国民党軍の進攻により、朝鮮・新義州へ移転して放送を継続
1947年6月10日
安東で放送再開
1949年4月
安東人民広播電台と改称

奉天中央放送局

放送局概要

呼出符号
MTBY
所在地
奉天省奉天市朝日区揚式街一段5
周波数
第1放送
890kHz(1kW)
第2放送
1250kHz(1kW)
送信機
第1放送
SFR製(1kW)
第2放送
日本電氣製(1kW)
空中線
第1放送
自立式四角鉄塔(高さ40m)2基、T型(水平部55m、垂直部38m)
第2放送
自立式四角鉄塔(高さ40m)2基、T型(水平部55m、垂直部38m)
受信所
南門外受信所
現況
遼寧人民広播電台新聞台
1089kHz(200kW)
遼寧人民広播電台経済台
999kHz(200kW)
遼寧人民広播電台信息台
927kHz(12.5kW)
瀋陽人民広播電台新聞台
792kHz(10kW)
瀋陽人民広播電台経済台
882kHz(10kW)
瀋陽人民広播電台体育健康台
1341kHz(10kW)
中央人民広播電台中国之声
540kHz(20kW)
中央人民広播電台経済之声
1215kHz(20kW)

沿革

1928年10月15日
瀋陽広播電台(呼出符号COMK、714kHz、2kW)として開局
1931年10月16日
關東軍特殊通信部所管の奉天放送局(COMK)となる
送信機整備不良のため出力は約700Wに低下
所在地は奉天市商埠地馬路灣門牌3
1931年11月15日
放送波による第1回日満連絡中継放送を実施(22:05〜23:24)
1931年12月13日
日本放送協會からの派遣技術者により機器整備を実施
周波数を900kHz、呼出符号をZILYに変更、出力を約1.5kWに増力
1931年12月23日
放送波による日満連絡中継放送試験を開始
1932年1月1日
短波無線電話による日満連絡交換放送実施
1932年2月1日
対ソ宣伝放送開始[2]
1932年2月11日
放送波による日満連絡放送を開始(毎日21:30〜)
1932年5月22日
放送波による日満連絡放送を中止
1932年6月21日
北大營送信所から短波による日満連絡放送を開始(火木土21:30〜21:45)
1932年10月
關東軍特殊通信部により新京演奏所設置→新京中央放送局
1933年3月15日
日満連絡放送の時刻を変更(水12:05〜12:40、日12:50〜13:20)
1933年8月
満洲国交通部に移管
1933年9月1日
満洲電信電話會社に移管
1933年12月15日
呼出符号をMTBYに変更
1934年4月
寛城子送信所の開所に伴い北大營送信所からの日満連絡放送を廃止
1937年12月
新局舎完成
1938年4月1日
中央放送局へ昇格
1938年10月15日
第2放送を1250kHzで開始
1945年8月17日
中国共産党地下組織「瀋陽広播電台維持会」により瀋陽広播電台として放送開始。
1945年8月21日
ソ連軍の管理となり、中国側による番組停止
1945年9月
東北抗日聯軍瀋陽地区工作組が接収
1945年9月6日
中共冀熱遼軍区16軍分区が接収、瀋陽広播電台として放送継続
1945年11月
ソ連軍の管理下になる
1946年4月
中国国民党中央広播事業管理処が接収
1948年11月4日
八路軍が接収、瀋陽新華広播電台と改称して放送開始
1948年12月15日
東北新華広播電台(東北総台)が瀋陽へ移転し合併
瀋陽新華広播電台は放送停止
1949年3月1日
放送再開
1949年5月1日
瀋陽人民広播電台と改称
1949年9月10日
放送停止
1950年4月
放送再開

新京中央放送局

放送局概要

呼出符号
MTCY
所在地
新京特別市大同大街601 満洲電電本社内
周波数
第1放送
560kHz(10kW)
第2放送
180kHz(100kW)
対外放送
6125kHz、9545kHz、11775kHz、15200kHz他(20kW)
送信機
第1放送
GRP-71B(東京電氣、10kW)
第2放送
日本電氣製(100kW)
対外放送
短波送信機(20kW)
空中線
第1放送
自立式鉄塔(高さ100m)、T型(水平部28m、垂直部89m)
第2放送
自立式鉄塔(高さ100m)、平頂扁型
送信所
新京無線寛城子送信所
受信所
新京無線孟家屯受信所
現況
吉林人民広播電台新聞総合台
738kHz(150kW)
吉林人民広播電台大衆生活台
846kHz(10kW)
長春人民広播電台
900kHz(10kW)
長春経済広播電台
1332kHz(2kW)
長春小児与老年生活広播電台
648kHz
中国国際放送
1017kHz(100kW)

沿革

1932年10月
關東軍特殊通信部により南広場電話局内に奉天放送局新京演奏所設置
1933年4月16日
關東軍特殊通信部により開局(呼出符号MTAY、570kHz、1kW)
 演奏所:新京市大和通30
 送信所:新京市商埠地東三馬路(元、東北無線長春電台)
 送信機:大阪中央放送局のWestern Electric製106A型送信機を流用
1933年8月
満洲国交通部に移管
1933年9月1日
満洲電信電話會社に移管
1933年12月15日
呼出符号をMTCYに変更
1934年4月29日
寛城子送信所からの日満連絡放送を開始
1934年
周波数を560kHzに変更
1934年11月1日
寛城子送信所に日本電氣製100kW送信機を設置
夜間(18:00〜23:00)出力を100kWに増力
1935年11月
満洲電電本社落成と共に本社屋内に演奏所を新設
1936年6月
吉林電報電話局内に演奏所を設置→吉林放送局
1936年11月1日
GRP-71B型送信機(10kW)を増備
第2放送を180kHz(100kW)で開始
1938年4月1日
中央放送局へ昇格
1939年6月3日
極東一円向け対外放送を開始
1939年7月20日
ヨーロッパ、北米西部向け対外放送を開始
1939年9月1日
南洋向け対外放送を開始
1939年11月10日
極東一円向け対外放送の放送時間を変更
1940年7月
20kW短波送信機を1台増設
1941年1月
ヨーロッパ向け対外放送でドイツ語放送開始
1943年11月20日
対外放送のスケジュールを大幅変更
1944年2月
放送総局となる
1945年8月19日
ソ連軍が接収、放送継続
1945年9月
中国共産党が接収
1945年9月10日
長春広播電台(呼出符号XNCM)、放送開始
1945年12月
民主聯軍が撤退しソ連軍に移管。ソ連軍の撤退後は国民党の管轄下になる
1946年4月24日
放送再開
1946年5月22日
民主聯軍が長春を撤退、放送停止
1948年10月21日
放送再開
1949年5月1日
長春人民広播電台と改称

孫吳中継放送局

放送局概要

呼出符号
MTDY
所在地
黒河省孫吳縣北孫吳淺間通
周波数
第1放送
725kHz(0.01kW)
現況
-

沿革

1943年12月1日
第1放送を725kHzで開始

赤峰中継放送局

放送局概要

呼出符号
MTEY
所在地
熱河省赤峰街箭亭第409-2
周波数
第1放送
850kHz(0.01kW)
第2放送
1215kHz
現況
赤峰市人民広播電台漢語総合節目
549kHz(10kW)/ 1512kHz(50kW)
赤峰市人民広播電台蒙古語新聞総合節目
1440kHz(50kW)
赤峰市人民広播電台経済広播
900kHz

沿革

1943年12月1日
第1放送を725kHz、第2放送を1100kHzで開始
1945年夏
第1放送を850kHz、第2放送を1215kHzに変更

哈爾濱中央放送局

放送局概要

呼出符号
MTFY
所在地
濱江省哈爾濱市南崗區松花江街601
周波数
第1放送
674kHz(3kW)
第2放送
1055kHz(1kW)
第3放送
1280kHz(0.25kW)
送信機
第1放送
マルコーニ製(3kW)
空中線
第1放送
支線式鉄塔(高さ100m)2基、垂直型(高さ100m)
送信所
馬家溝無線送信所
現況
黒龍江人民広播電台新聞台
621kHz(200kW)
黒龍江人民広播電台朝鮮語広播
873kHz(200kW)
哈爾浜人民広播電台
837kHz(20kW)
哈爾浜経済広播電台
972kHz(10kW)

沿革

1922年9月28日
東三省政府がソ連開設の無線局を接収、東三省無線電台と改称し軍事通信に利用
1923年2月10日
東三省無線電台が電信で新聞通信、電報通信業務を開始
その後、試験放送を実施(呼出符号XOH、600kHz、0.05kW)
1923年5月15日
東三省無線電台哈爾濱分台と改称
1926年9月22日
哈爾濱広播無線電台設立(所在地:哈爾濱市道里外国八道街)
1926年9月29日
東三省特別区行政長官が放送を認可
1926年10月1日
哈爾濱広播無線電台が本放送を開始(呼出符号XOH、1071kHz、0.1kW)
1927年2月
東三省政府、哈爾濱広播電台の大出力化を決定
1927年10月
出力500Wの実験放送開始(所在地:哈爾濱市埠頭區フランス商會)
呼出符号をCOHBに変更
1928年1月1日
哈爾濱市南崗長官公署街に移転
周波数674kHzに変更
出力1kW(ケロッグ社製送信機)に増力
1932年2月5日
關東軍が接収し、放送停止
1932年7月23日
満洲国哈爾濱電政管理局所管の哈爾濱放送局として放送再開(出力0.5kW)
1932年11月
呼出符号をMOHBに変更
1933年2月
実出力500Wを1kWに増力
1933年9月1日
満洲電信電話會社に移管
1933年12月15日
呼出符号をMTFYに変更
1934年3月
出力を3kWに増力
1934年7月
新京放送局からの中継回線竣工
1938年4月1日
中央放送局へ昇格
1940年7月1日
第2放送を1055kHz(1kW)で開始
1941年3月25日
局舎を哈爾濱市南崗區松花江街601に移転
1942年12月8日
第3放送を1280kHz(0.25kW)で開始
1945年8月20日
中国共産党が接収
哈爾浜広播電台として放送開始(1055kHz、1kW)
1946年1月3日
国民党が哈爾浜市を占領、放送局は国民党に抵抗
1946年4月28日
民主聯軍により哈爾浜市解放
1946年5月28日
佳木斯へ移動し東北新華広播電台となる
1946年
中共中央東北局が哈爾浜広播電台の再建を決定
1947年4月20日
放送再開(呼出符号XMHR、1280kHz、0.2kW)
1948年1月
東北新華広播電台と統合し、哈爾浜新華広播電台と改称(短波3.5kW、中波1kW)
1948年12月
東北新華広播電台が瀋陽へ移転
周波数を1055kHz(1kW)に変更
1948年4月
北平新華広播電台からの中継放送を開始
1949年5月15日
哈爾浜人民広播電台と改称、呼出符号を廃止

牡丹江中央放送局

放送局概要

呼出符号
MTGY
所在地
東満總省牡丹江市西倫街36
周波数
第1放送
745kHz(1kW)
第2放送
1015kHz(1kW)
送信機
第1放送
山中電機製(1kW)
空中線
第1放送
屋上鉄塔3m、鉄筋コンクリート塔30m、逆L型(水平部40m)
現況
牡丹江人民広播電台新聞時政頻道
684kHz(50kW)
牡丹江人民広播電台経済生活頻道
1476kHz(1kW)

沿革

1937年6月1日
第1放送を1015kHzで開始(所在地:牡丹江省牡丹江市大平路10)
満洲電電製50W送信機を使用
1941年12月15日
第2放送を745kHzで開始
第1放送の出力を1kWに増力
1944年2月
中央放送局へ昇格
1944年9月頃
第1放送を745kHz、第2放送を1015kHzに変更
1945年8月
日系職員、放送施設を自ら破壊、退去
1945年
ソ連軍が接収
1947年5月
放送局の建設を決定
1947年8月15日
牡丹江広播電台(呼出符号CMMR、0.2kW)、放送開始
1948年9月15日
牡丹江新華広播電台と改称
1949年5月1日
牡丹江人民広播電台と改称
1949年11月28日
哈爾浜人民広播電台へ合併、廃局

承コ中央放送局

放送局概要

呼出符号
MTHY
所在地
熱河省承コ市南營子省公署街
周波数
第1放送
915kHz(0.05kW)
第2放送
1170kHz(1kW)
送信機
第1放送
沖電氣製(50W)
空中線
第1放送
木柱(高さ20m)、屋上柱、傾斜型(水平部80m、垂直部80m)
現況
承徳人民広播電台
1584kHz(1kW)

沿革

1937年7月22日
915kHzで日本語、満洲語放送を開始
1941年12月15日
第1放送の周波数を1280kHzに変更
第2放送を915kHz(1kW)で開始
1944年2月
中央放送局へ昇格
1944年9月頃
第1放送の周波数を915kHz、第2放送の周波数を1100kHzに変更
1945年冬
第2放送の周波数を1270kHzに変更
1945年夏
第2放送の周波数を1170kHzに変更

撫順放送局

放送局概要

呼出符号
MTIY
所在地
奉天省撫順市中央大街
周波数
725kHz(0.01kW)
現況
撫順人民広播電台新聞広播
684kHz(10kW)
撫順人民広播電台音楽広播
747kHz
撫順人民広播電台交通広播
1143kHz

沿革

1944年9月1日
725Hzで放送開始
1945年9月
八路軍が接収
1946年
撫順市人民政府広播電台、放送開始
1946年
国民党軍の進攻により放送停止
1948年10月31日
八路軍により撫順市解放、放送再開
1949年5月
撫順人民広播電台と改称

鞍山放送局

放送局概要

呼出符号
MTJY
所在地
奉天省鞍山市長大區長和街
周波数
725kHz(0.01kW)
現況
鞍山人民広播電台
954kHz(10kW)
鞍山経済広播電台
1071kHz(2kW)
鞍山交通広播電台
1251kHz

沿革

1944年9月1日
725kHzで放送開始
1945年10月
八路軍が接収
1945年10月24日
鞍山広播電台、放送開始
1946年3月
国民党軍の進攻により放送停止
1948年3月
放送再開
1948年
国民党軍の進攻により再び放送停止
1948年11月
放送再開
1949年5月
鞍山人民広播電台と改称

間島放送局

放送局概要

呼出符号
MTKY
所在地
東満總省間島市延吉街康平區公園路
周波数
第1放送
1270kHz(0.2kW)
第2放送
785kHz(0.05kW)
送信機
第1放送
義昌無線電氣製(200W)
空中線
第1放送
木柱(高さ20m)2基、T型
現況
吉林人民広播電台新聞総合台
1053kHz(20kW)
延辺人民広播電台漢語頻道
1530kHz
延辺人民広播電台朝鮮語頻道
1206kHz(150kW)
延吉人民広播電台
900kHz(1kW)

沿革

1938年4月1日
延吉放送局として785kHz(0.2kW)で放送開始(所在地:間島省延吉縣延吉乙字街)
1942年11月1日
第1放送の周波数を1270kHzに変更
第2放送を785kHz(0.05kW)で開始
1943年5月1日
間島放送局に改称
1945年
ソ連軍が接収
1946年4月
八路軍がソ連軍から接収、延吉広播電台を建設
電力不足により正常な放送に至らず
1946年6月
吉林新華広播電台の移転により、共同で延吉新華広播電台を建設
1946年7月
延吉新華広播電台(呼出符号XHYR)、放送開始
1949年5月1日
延吉人民広播電台と改称
1951年4月
延辺人民広播電台と改称

齊々哈爾中央放送局

放送局概要

呼出符号
MTLY
所在地
龍江省齊々哈爾市寛宏街
周波数
第1放送
835kHz(0.05kW)
第2放送
1075kHz(1kW)
送信機
第1放送
大和無線製(50W)
第2放送
沖電氣製(1kW)
空中線
第1放送
鉄塔(高さ45m)2基、T型
第2放送
人形木柱(高さ45m)2基、T型
送信所
龍江省齊々哈爾市三里崗
現況
斉斉哈爾人民広播電台
1197kHz(10kW)

沿革

1938年4月1日
835kHzで日本語、満洲語放送を開始
1939年6月20日
第2放送を1075kHzで開始
1944年2月
中央放送局へ昇格
1945年
国民党軍が接収
1946年4月
八路軍が接収、斉斉哈爾広播電台を建設
1946年5月1日
斉斉哈爾広播電台、放送開始
1946年6月
斉斉哈爾新華広播電台と改称
1946年7月
西満新華広播電台(呼出符号XNTR)と改称
1947年10月
中国共産党西満分局の廃止により、斉斉哈爾新華広播電台(呼出符号XNWR)と改称
1949年5月1日
斉斉哈爾人民広播電台と改称
1951年3月20日
黒竜江人民広播電台と改称
1954年8月1日
黒竜江省省都が哈爾浜へ移転
斉斉哈爾人民広播電台として放送継続

本渓湖放送局

放送局概要

呼出符号
MTMY
所在地
奉天省本渓湖市宮原區興亜街
周波数
725kHz(0.01kW)
現況
本渓人民広播電台新聞総合台
1296kHz(10kW)
本渓人民広播電台交通台
900kHz(1kW)

沿革

1944年9月1日
725kHzで放送開始
1945年9月
八路軍が接収
1945年9月28日
本渓新華広播電台、放送開始
1946年1月1日
東北民主聯軍遼東軍区の成立により、遼東軍区新華広播電台と改称
1946年3月
国民党軍の進攻により、鳳城へ移転
1946年5月
安東新華広播電台に統合

佳木斯放送局

放送局概要

呼出符号
MTNY
所在地
三江省佳木斯市中央大街187
周波数
第1放送
615kHz(0.5kW)
第2放送
845kHz(1kW)
空中線
第1放送
木柱(高さ20m)2基、傾斜型
現況
黒龍江人民広播電台新聞台
900kHz(50kW)
佳木斯人民広播電台
666kHz(10kW)
佳木斯人民広播電台経済台
1143kHz

沿革

1938年4月1日
615kHz(0.05kW、大和無線製送信機)で日本語、満洲語放送を開始(所在地:佳木斯市一コ街24)
1942年3月20日
第2放送を845kHzで開始
第1放送の出力を0.5kWに増力
1945年8月15日
終戦詔勅の放送直後、自爆
1945年
ソ連軍が接収
1946年5月28日
哈爾浜広播電台を佳木斯へ移転、東北新華広播電台の建設を開始
1946年9月23日
東北新華広播電台(呼出符号XNMR)、放送開始
1948年1月
哈爾浜へ移転

錦縣放送局

放送局概要

呼出符号
MTOY
所在地
錦州省錦州市向陽區昭和街15
周波数
第1放送
575kHz(0.1kW)
第2放送
955kHz(0.1kW)
送信機
第1放送
義昌無線電氣製(100W)
第2放送
義昌無線電氣製(100W)
空中線
第1放送
木柱(高さ30m)2基、T型
第2放送
第1放送と共用
現況
遼寧人民広播電台文芸台
810kHz
錦州人民広播電台新聞台
666kHz(2kW)
錦州人民広播電台経済台
774kHz
中央人民広播電台中国之声
1035kHz

沿革

1939年4月14日
第1放送を575kHz、第2放送を955kHzで開始
1945年8月
八路軍が接収し、設備を承徳へ移動
1946年
国民党軍が錦州広播電台を建設

營口放送局

放送局概要

呼出符号
MTPY
所在地
奉天省營口市大和区弥生街12
周波数
第1放送
1025kHz(0.05kW)
第2放送
1270kHz(0.05kW)
送信機
第1放送
義昌無線電氣製(50W)
第2放送
義昌無線電氣製(50W)
空中線
第1放送
木柱(高さ30m)2基、T型
第2放送
第1放送と共用
現況
営口人民広播電台新聞総合節目
1026kHz(2kW)
営口人民広播電台経済生活節目
747kHz

沿革

1939年2月10日
第1放送を1025kHz、第2放送を1270kHzで開始(所在地:營口市新市街千代田通)
1945年
一時期、第1放送を725kHz、第2放送を1100kHzに変更
1945年
国民党軍が接収、営口広播電台として放送開始
1945年10月20日
八路軍がを接収、局名はそのままで放送継続
1946年3月
国民党軍の進攻により、設備は他所へ移転
1948年5月
局再建に着手
1949年4月15日
営口新華広播電台として放送再開
1949年9月
営口人民広播電台と改称

富錦放送局

放送局概要

呼出符号
MTQY
所在地
三江省富錦縣西南門外南畑地
周波数
1280kHz(0.1kW)
現況
-

沿革

1939年10月1日
満洲語専門の放送局として開局(1280kHz)
1945年8月9日
放送局を閉鎖、退去

海拉爾放送局

放送局概要

呼出符号
MTRY
所在地
興安總省海拉爾市腰芦子區
周波数
第1放送
1005kHz(0.5kW)
第2放送
1260kHz(0.5kW)
送信機
第1放送
沖1598型(沖電氣、500W)
第2放送
沖1598型(沖電氣、500W)
空中線
第1放送
木柱(高さ20m)2基、T型
第2放送
木柱(高さ20m)1基、逆L型
現況
呼倫貝爾人民広播電台漢語頻道
603kHz(50kW)
呼倫貝爾人民広播電台蒙古語頻道
954kHz(200kW)
海拉爾人民広播電台
990kHz(1kW)

沿革

1938年12月25日
第1放送を1260kHz(0.1kW、満洲電電製送信機)で開始(所在地:興安北省海拉爾市以東伊敏川島)
1939年7月11日
第2放送を1005kHzで開始、送信機は第1放送用を転用
第1放送の出力を0.5kWに増力
1941年頃
第1放送の周波数を1005kHz、第2放送の周波数を1260kHzに変更
1944年頃
第1放送を935kHzに変更
1945年夏頃
第1放送を1005kHzに変更
1945年8月9日
放送施設を自ら破壊、退去

K河放送局

放送局概要

呼出符号
MTSY
所在地
K河省K河街迎思路
周波数
第1放送
1100kHz(0.01kW)
第2放送
795kHz(0.01kW)
第3放送
1280kHz (0.25kW)
送信機
第1放送
満洲電電製(10W)
空中線
第1放送
木柱(高さ20m)2基、T型
現況
黒河人民広播電台

沿革

1938年12月20日
第1放送を1100kHzで開始(所在地:K河省K河六道街)
1942年4月15日
第2放送を795kHzで開始
1943年1月1日
第3放送を1280kHzで開始
1945年8月
ソ連軍が接収

通化放送局

放送局概要

呼出符号
MTTY
所在地
通化省通化市中昌區隆蔵街二段一号
周波数
第1放送
1035kHz(0.05kW)
第2放送
1100kHz(0.01kW)
現況
通化人民広播電台
909kHz(10kW) / 657kHz(1kW)

沿革

1940年11月20日
第1放送を1035kHzで開始(所在地:通化省通化縣通化大橋區)
1942年1月1日
第2放送を725kHzで開始
1944年9月頃
第2放送を1100kHzに変更
1945年
一時期、第1放送を725kHzに変更
1945年9月24日
八路軍が接収、通化広播電台(呼出符号XTHR)として放送開始
1946年1月
通化新華広播電台と改称
1946年5月
国民党軍の進攻により、臨江鎮へ移転

北安放送局

放送局概要

呼出符号
MTUY
所在地
北安省北安街西北省公署向側
周波数
第1放送
725kHz(0.01kW)
第2放送
1025kHz(0.01kW)
現況
黒龍江人民広播電台新聞台
900kHz(50kW)

沿革

1941年2月1日
第1放送を725kHz、第2放送を1025kHzで開始

東安放送局

放送局概要

呼出符号
MTVY
所在地
東満總省東安市向陽臺
周波数
第1放送
915kHz(0.05kW)
第2放送
1270kHz(0.05kW)
現況
-

沿革

1942年3月28日
第1放送を915kHzで開始(所在地: 東安省東安市向陽臺)
1944年10月1日
第2放送を1270kHzで開始
1945年
一時期、第1放送を725kHzに変更
1945年8月9日
放送施設を自ら破壊、退去

吉林放送局

放送局概要

呼出符号
MTWY
所在地
吉林省吉林市朝陽區大馬路2
周波数
第1放送
725kHz(0.05kW)
第2放送
1160kHz(0.05kW)
現況
吉林市人民広播電台
927kHz(10kW)
吉林市経済広播電台商業広播
603kHz
吉林市経済広播電台都市110
1494kHz(10kW)
中国国際放送
1323kHz(100kW)

沿革

1936年6月
吉林電報電話局内に新京放送局吉林演奏所を設置
1945年1月25日
第1放送を725kHz、第2放送を1160kHzで開始

興安放送局

放送局概要

呼出符号
MTXY
所在地
興安總省興安街興安總省科前旗興奉街
周波数
第1放送
725kHz(0.05kW)
第2放送
1160kHz(0.05kW)
現況
興安人民広播電台漢語新聞総合
891kHz(10kW)
興安人民広播電台蒙古語新聞総合
1152kHz(10kW)

沿革

1945年6月1日
第1放送を725kHz、第2放送を1160kHzで開始

阜新放送局

放送局概要

呼出符号
MTYY
所在地
錦州省阜新市海州區天恵街一段2
周波数
第1放送:725kHz(0.05kW)
第2放送:1160kHz(0.05kW)
現況
阜新人民広播電台
1287kHz(100kW)
阜新人民広播電台文芸台
1557kHz
阜新蒙古人広播電台
846kHz(10kW)

沿革

1945年7月15日
第1放送を725kHz、第2放送を1160kHzで開始

対外放送

1937年7月17日

時間 方向 言語 周波数[kHz]
21:30〜22:00 支那・海峡植民地 満洲語、英語 9925(JDY)

1937年9月1日

時間 方向 内容 周波数[kHz]
21:00〜22:00 支那・海峡植民地 21:00

21:31
21:45
開始アナウンス
日本語ニュース、音楽、講演
満洲語ニュース
英語ニュース
終了アナウンス
9925(JDY)

1939年6月3日

時間 方向 言語 周波数[kHz]
21:00〜22:00 支那・海峡植民地 日本語、満洲語、英語 9925(JDY)
22:30〜23:00 極東一円 蒙古語、ロシア語 180
6125

1939年7月20日

時間 方向 言語 周波数[kHz]
06:00〜06:50 欧羅巴 英語、ドイツ語、フランス語 11775
15:30〜16:20 北米西部 英語 11775
21:00〜22:00 支那・海峡植民地 日本語、満洲語、英語 9545
9925(JDY)
22:30〜23:00 極東一円 蒙古語、ロシア語 6125

1939年9月1日

時間 方向 言語 周波数[kHz]
06:00〜06:50 欧羅巴 英語 11775
15:30〜16:20 北米西部 英語 11775
22:30〜23:30 極東一円 蒙古語、ロシア語 6125
23:50〜00:55 南洋 日本語、満洲語、英語 9545
11775

1939年11月10日

時間 方向 内容 周波数[kHz]
06:00〜06:50 欧羅巴 06:00
06:05
06:15
06:45
シグナル、開始アナウンス(英語)
英語ニュース、音楽
講演、音楽、演芸、実況
終了アナウンス(英語)、国歌
11775
15:30〜16:20 北米西部 15:30
15:35
16:00
16:15
シグナル、開始アナウンス(英語)
講演、音楽、演芸、実況
英語ニュース、音楽
終了アナウンス(英語)、国歌
11775
22:20〜23:30 極東一円 22:20
22:30
22:40
23:30
開始アナウンス(蒙古語)、ニュース、音楽
日本語ニュース
ロシア語ニュース、音楽、講演、演芸、実況
終了アナウンス(ロシア語)
6125
23:50〜00:55 南支・南洋 23:50
23:55
00:10
00:35
00:50
シグナル、開始アナウンス(日本語、満洲語、英語)
日本語ニュース、音楽
満洲語ニュース、音楽、講演、演芸、実況
英語ニュース、音楽
終了アナウンス(日本語、満洲語、英語)、国歌
9545
11775

1940年7月

時間 方向 内容 周波数[kHz]
周波数[kHz]
06:00〜06:50 欧羅巴 06:00
06:05
06:30
06:40
06:45
開始アナウンス(英語)
音楽、講演、演芸
英語ニュース
音楽
番組予告、終了アナウンス(英語)
15200 9545
15:30〜16:20 北米西部・布哇 15:30
15:35
16:00
16:10
16:15
開始アナウンス(英語)
音楽、講演、演芸
英語ニュース
音楽
番組予告、終了アナウンス(英語)
15200 11775
17:00〜17:20 極東一円(甲)   蒙古語 6125 6125
22:30〜23:10 極東一円(乙)   ロシア語 6035
9565
6035
9565
23:30〜00:30 南支・南洋・濠州 23:30
23:35
23:50
00:00
00:10
00:25
開始アナウンス(満洲語
音楽、講演、演芸
満洲語ニュース
英語ニュース
音楽、講演、演芸
番組予告、終了アナウンス(英語)
9545
11775
9545
11775

1941年1月

時間 方向 言語 周波数[kHz]
1941年1月
周波数[kHz]
1941年4月
06:00〜06:50 欧羅巴 英語、ドイツ語 9545 11775
15200
15:30〜16:20 北米西部・布哇 英語 11775 11775
15200
17:00〜17:20 極東一円(甲) 蒙古語 6125 6125
22:30〜23:10 極東一円(乙) ロシア語 6035
9565
6035
9565
23:30〜00:30 南支・南洋・濠州 英語、満洲語 9545
11775
9545
11775

1942年4月1日現在

時間 方向 言語 周波数[kHz]
06:00〜07:00 欧羅巴 英語、ドイツ語、フランス語 11775
15330
15:30〜16:20 北米西部・布哇 英語 11775
15330
17:00〜17:20 極東一円(甲) 蒙古語 6125
22:00〜24:00 南支・南洋・濠州 英語、フランス語、満洲語 9545
11775
22:30〜23:00 極東一円(乙) ロシア語 5710(JDZ)
9925(JDY)

1942年4月22日

時間 方向 言語 周波数[kHz]
1942年4月
周波数[kHz]
1943年6月
06:00〜07:00 欧羅巴 英語、ドイツ語、フランス語 9545 9545
14:30〜16:00 北米西部 英語 9545
10065
10065
11775
17:00〜17:20 極東一円(甲) 蒙古語 180
6125
180
6125
22:00〜24:00 南洋 英語、満洲語 5710
9925
5710
9545
22:30〜23:00 極東一円(乙) ロシア語 6035 6035

1943年11月20日

時間 送信番号 方向 内容 周波数[kHz]
14:00〜16:00 1 北米西部 14:00
14:02
14:15
14:30
14:40
15:00
15:10
15:15
15:30
15:45
15:58
開始アナウンス(英語)
英語通信
俘虜情報
英語ニュース
音楽、演芸、実況
満洲語ニュース
音楽
満洲語時事解説
英語ニュース
英語時事解説
終了アナウンス(英語)
11775
17:00〜18:00 2 欧羅巴 17:00
17:02
17:12
17:15
17:30
17:45
17:58
開始アナウンス(ドイツ語)
ドイツ語ニュース
音楽
ドイツ語/フランス語時事解説
英語ニュース
英語通信、時事解説、俘虜情報
終了アナウンス(英語)
11775
22:00〜24:00 3 支那 22:00
22:02
22:17
22:20
22:30
22:45
22:48
23:00
23:20
23:35
23:40
23:58
開始アナウンス(満洲語
満洲語ニュース
音楽
満洲語時事解説
英語ニュース
音楽
英語時事解説、講演
音楽、演芸
満洲語時事解説、講演
音楽
満洲語ニュース
終了アナウンス(満洲語
5710
6035[3]
6125
22:00〜22:30 4 東部亜細亜一円 22:00


22:29
22:30
開始アナウンス(ロシア語)
ニュース
時事解説
音楽、演芸、実況
終了アナウンス(ロシア語)
6035

脚注

  1. 所在地は關東州大連市外西山屯
  2. 月・水・金曜日に短波(31m)による1回約10分のロシア語放送
  3. 1943年11月20日のスケジュールには未記載、1944年11月現在のスケジュールでは22:30〜24:00

【資料】省の変遷

1934年10月 1937年12月 1939年 1941年 1943年10月 現在
安東省 安東省 安東省 安東省 安東省 遼寧省
通化省 通化省 通化省 吉林省
奉天省 奉天省 奉天省 奉天省 奉天省 遼寧省
四平省 四平省 吉林省
間島省 間島省 間島省 間島省 東満總省 延辺朝鮮族自治州
錦州省 錦州省 錦州省 錦州省 錦州省 遼寧省
吉林省 吉林省 吉林省 吉林省 吉林省 吉林省
龍江省 龍江省 龍江省 龍江省 龍江省
黒龍江省
北安省 北安省 北安省
濱江省 濱江省
濱江省 濱江省 濱江省
牡丹江省 牡丹江省 牡丹江省 東満總省
東安省 東安省
K河省 K河省 K河省 K河省 K河省
三江省 三江省 三江省 三江省 三江省
興安省 興安省 興安北省 興安北省 興安總省 内蒙古自治区
興安東省 興安東省
興安南省 興安南省
興安西省 興安西省
熱河省 熱河省 熱河省 熱河省 熱河省

参考文献


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